「壬生」は、古墳が多いことで知られています。「博士、知ってます。牛塚古墳や車塚古墳、それに愛宕塚古墳のことでしょう。」そのとおりです。なかでも車塚古墳は、全国でも屈指の大型円墳といわれています。
「博士、なぜこの街には、こんなに多くの古墳が造られたのですか?」。いい質問ですね。古墳が多いということは、古くから中央文化に接した地である、ということを物語っています。「歴史のある街なんですね、壬生は」。そういうことですね。
それでは始めましょうか、壬生の地名のルーツ探し。歴史ある街というだけあって、由来については諸説があります。ひとつは、先ほど話した古墳が造られた時代、この地を統合していた氏族「乳部」(にぶ・みぶ)が転訛して、壬生になった、という説です。もうひとつは、室町後期、「壬生胤業(みぶたねなり)」が京都からこの地に移り壬生城を築いたので、壬生という地名になったという説。さらに、語源からですが、壬生は「水」と「辺」の転訛で、街を流れる黒川、思川のほとりに開けた地、という説もあります。
「簡単にはいかないものですね、博士」。そうですね。歴史ある地名であればあるほど、地名のルーツ探しは難しいんです。確実なことは、壬生という街は、諸説にもあるように、河川などの自然環境に恵まれ、地域文化の中心地として、重厚な歴史を刻んできた、ということです。
みなさんも、街の歴史をもっともっと調べてみてはいかがですか。マルコポーロをしのぐ大旅行記を著した「慈覚大師」は、この街で誕生したとか、また街の特産になっている「かんぴょう」は、いまから約280年前に、壬生城主「鳥居忠英(とりいただてる)」が、滋賀県から夕顔の種を取り寄せたのが始まり…など、おもしろい発見が待っているはずです。 |
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